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心不全と肺高血圧症

2月5日


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          何度も何度も心臓のえらさを訴えても、主治医にわかっていただけず
          おまけに薬まで止められ悶絶した娘が本当に可愛そうでした
          「心電図では悪いところがみうけられないから・・・」と
          動くベルトの上で徐々に速度を増し、傾斜をつけた状態で歩行したり
          駆け足してでの《運動負荷心電図》をさせられました
          とても駆け足など出来ません・・・
          歩けなくなり入院したえりなが、頑張って歩けるとしたら
          身体を前屈みにして4・5歩ゆっくり足がでる程度でした
          「えりなちゃん、頑張って~」と、ヘロヘロのえりなに主治医が声を掛け
          命懸けのような思いで検査をしていただき
          あまりにも過酷な検査に倒れてしまいました
          『ここまでしないと病状がわかっていただけないのか・・・』と
          悲しい気持ちと怒りに似た感情で涙がにじみました
          点滴から強心剤を入れていただき
          運動負荷心電図をしている時に、血液中の酸素濃度を測る
          「サチュレーション測定器」で酸素不足がずい分低下していて          
          やっと、主治医に心臓の異常に気づいていただけました
          フォンタン手術をしていただく前までは、血液中の酸素濃度が低く
          健康な方なら気絶するぐらいの数値でした
          血液中の酸素不足を補うために赤血球が増加され血液は高濃度になり
          血はドロドロでした

          その後、心臓超音波検査(エコー)・胸部X線検査・血管造影検査等 
          をしていただいた結果、「心不全」と「肺高血圧症」と診断されました
          検査結果の後に
          「これからは、ずっと酸素吸入でマスクをして車イス生活になります・・・」と
          言われたときは、今まで愚痴を言ったり弱音を吐かなかったえりなが
          「何で、えりちゃんばっかり・・・」とワーワー声をあげて泣きました
          何も言ってあげることが出来ず、背中をさするぐらいしかできませんでした
          えりなが、こんなに悲しげで泣き続けた事は今までありませんでした        
          30分ぐらい泣き続けて、フッと泣き止み
          医師の説明を受けとめたのか・・・何も言わないで目を閉じていました
          やっと・・・やっと、普通に生活が出来ると喜んだばかりなのに・・・
          多くのことを望んできた子ではありません・・・
          小さな時から、チアノーゼのことで辛い言葉を言われたり
          みんなと同じように遊ぶことも、学校に通えないことも
          愚痴を言わないで受け止めてきました
          「フォンタン型手術」にも耐え、皆んなと同じことが出来だしたばかりなのに
          嘆き悲しむえりなに声も掛けられず不甲斐無い母親でした
          色んな辛い事を耐えてその都度乗り越えて来たえりななのに
          また厳しい試練を受けるのか・・・何でまた、えりなで私ではないのか・・・
          息切れしないで歩けたのは、半年弱でした

          看護師さんから「酸素マスクと鼻カニューレ、どちらにする?」と
          交互にしていただき「鼻カニューレ」にすると自分で決めました
          ベッドから離れるときも車椅子に酸素ボンベを積んで
          酸素吸入していました
          また水分も一日800mlと制限が始まりました
          一日8種類の薬を飲んでいたので水分制限も辛いことでした
          
          心臓が落ち着いた頃、重症患者が入るので大部屋に移動を頼まれ
          そこは「お姉さん部屋」と呼ばれていた部屋でした
          えりなぐらいの年頃の女の子ばかりでしたので、体調がいい時は
          お話が出来、明るさが戻りました
          携帯電話は禁止されていましたが
          体調が悪くてカーテンが閉めてある子には布団に潜りながらメールで
          励ましの言葉を送っていたようです
          「いつも体調が悪かったり気持ちが沈んだ時は、えりなちゃんは
          そういうのを察してくれて、そっとしててくれメールでは、励ましてくれ
          気持ちを凄く分かってくれてた・・・」とえりなが亡くなって自宅まで来て
          くださった時に親子でえりなのお話しをしてくださいました
          私が知らないえりなの話を聞けることができ嬉しくて涙して聞いていました
          この大部屋に居るときもイラついて病棟中に響きわたる程声をあららげ
          どう話しても落ち着かないので私が自宅に帰ったことがありました
          3日程自宅にいて土日はえりなが外泊で自宅に帰ってきました
          主人が一人で迎り迎えをしてお互い意地の張り合いをしていた時が
          ありました
          自宅では、えりなが退院できた時に車椅子での生活になるので
          えりなの部屋を2階から1階に移動すること
          1階をバリアフリーにすることを進めていました
          えりなに部屋の壁紙を選ぶようにカタログを持って病院に行くと
          少し前から点滴から強心剤を入れたと看護師から説明がありました
          壁紙選びを喜んでくれる・・・そう思いながら病院に着いたら、そんな事に
          なっていてショックでした
          この日からどんどん悪化していきました
          強心剤の量が増えてしまい、落ち着いた・・・と薬の量を減らすと
          30分もすると苦しみだし、また薬の量を増やす・・・その繰り返しでした
          家に帰った自分が情けなくて腹ただしくて
          悔やんでも悔やみきれませんでした
          薬がどんどん増えていき、その間点滴を入れている血管が
          2日でもたなくなり
          4歳の時のように時間を掛けて血管を探しながら針を差し替えていました
          差し替えに30分過ぎてしまうと、えりなが脂汗が出て苦しみ出し
          医師が慌てられる事が2・3度続いてからは
          胸のところにカテーテルを差し込みそこから点滴につなぐようになりました

         
          今日も長々と書き綴りました
                   お付き合いくださった方々、ありがとうございました
                  
          
  
         
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by 0102mayu | 2013-02-05 23:30 | 娘のこと

小さな家に思い出がいっぱい。心地の良い空間に包まれ過ごせたら・・・


by mayu